ガルトネルって誰?
みなさんは「R.ガルトネル」という人物をご存知ですか?“りんご”をはじめとする多くの果物は、この人物によってもたらされた・・・といっても過言ではないでしょう。では・・・一体どのような人物なのか、またどのような偉業を成し遂げたのか?りんごの歴史を振り返るとともに、日本にりんごをもたらした「R.ガルトネル」について学んでみましょう。
R.ガルトネルとは?
R.ガルトネルはプロシア(現:ドイツ)人の農業指導者でした。
明治2年には七重村の土地を借用、西洋農業を始めたことで知られています。母国からさまざまな種類(りんごや洋ナシ、さくらんぼなど)の苗木を取り寄せ、日本で初めての栽培を試みました。七飯町が“近代農業発祥の地”となったのは、これらの業績があってからこそ・・・といえるでしょう。また、「ガルトネルブナ林」や「りんご」は七飯町の特産物として今もなお引き継がれています。

ガルトネルブナ林
七飯町(国有林)には明治2〜3年にかけて植林されたブナの人工林があり、これを「ガルトネルブナ林」と呼びます。R.ガルトネルが故郷をしのび、そこから取り寄せたブナの苗を植えた・・・という説もあるとか。面積は0.38haと小規模ではありますが、ブナ造林の成功例として有名です。
また、密度が濃すぎるために日照不足となったのかブナの木もそれほど太くはありません。「ガルトネルブナ林」は七飯町国道5号線沿い国有林2147林班に所在、現在は保護対象(植物群保護林)となっています。
行き方ですが、まず函館から国道5号線を北上してください。
七飯の市街地を越えて、坂を下ると・・・右側に「ガルトネルブナ林」が見えてきます(看板もあります)。地元の人はもちろん、観光客の方々もぜひ足を運んでみてくださいね♪

ガルトネル事件
R.ガルトネルは江戸時代末期より土地を借用、西洋農法により開墾を推進していました。しかし・・・直後の明治維新により、明治新政府(箱館府)が誕生。
そこから土地の使用許可が下りず、賠償金をもらう形で明治4年に函館を去りました。これこそが、今でいう「ガルトネル事件」です。これは、日本が国際ルールに不慣れであった・・・ということから生じた事件といえるでしょう。開拓史はその跡を引き継ぎ、農作物の試作や家畜の飼育などをすることになりました。

ガルトネルと果物
さて・・・ガルトネルは母国からどのような果物の苗を取り寄せたのでしょう? ここではガルトネルが取り寄せ、栽培した果物をいくつか紹介していきます。
ガルトネルとりんご
ガルトネルが西洋りんごの初栽培を試みた・・・という話しは有名ですよね?
初栽培の地、七飯(旧:七重)では町の花に“りんごの花”が制定されるほど。
ガルトネルによってもたらされたりんごは、七飯町の特産物として今もなお引き継がれています。
ガルトネルと洋梨
江戸時代から栽培されていた梨・・・ですが、これはあくまで日本在来種。
洋梨栽培はりんご同様、ガルトネルによって導入されました。
また、初栽培の地も同じ(七飯町)です。
その後、開拓史はアメリカから53種類(バートレットやブランディワインなど)の苗木を輸入しました。現在、国内で作られている品種は約20種とされています。
ガルトネルとサクランボ
山形の名産といえば「サクランボ」ですが、これもやはりガルトネルによってもたらされた果物です。明治元年、ガルトネルは七飯町にさくらんぼの苗木を6本植えました。これがサクランボの伝来であり、初栽培でもあります。
その後、開拓史はアメリカから25種類の苗木を輸入しました。それが東北地方へ広まり、“名産”となる今日に至っています。


ガルトネルと西洋農法
ガルトネルがもたらした“西洋農法”という技術は、七重官園からはじまりました。
本州で行われている“鎌・鍬農業”とはまったく異なるものです。西洋農法は日本の農業に新風を吹き込んだうえ、七飯町における農業の契機ともなりました。
七飯町は“りんご初栽培の地”・・・というだけでなく、“西洋農業発祥の地”ともいえるでしょう。ガルトネルは西洋農法とともに、さまざまなものを残していきました。
そのどれもが後継者によって今なお引き継がれています。









